神崎聡(こうざきさとし)夢からはじまる
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義父(山本徳孝)、たくさんの皆様に見送られ永眠。

義父(山本徳孝)が永眠した。平成29年10月1日12時22分。義母から携帯に危篤の連絡が入り、急遽、入院先の田川市立病院に向かったが、着いたのが12時24分だった。まだまだ元気にいてもらいたかったし、こんなに急に逝ってしまうなんて想像もしていなかった。

父(山本徳孝)の人生は、まさに挑戦し続けてきた人生だったように思う。酒を飲みながら話をしていた、現役時代の教育現場・教育行政での修羅場、その生き方、その迫力。
父と二人三脚で戦ってきた選挙では、大所高所から物事を見ながら、ち密な計画を作り、問題や課題が出てきたら、一つひとつ、それを潰していく、その解決力、そして行動力。
それでいて、物腰柔らかく、寛大さを兼ね備えていた。多くの皆さんからの信頼が厚かったと思う。理不尽な目に逢っても決して激怒せず、常に、清濁併せ飲むようにと、言い聞かせるように、教えてくれた。そんな父の息子になれたことが、誇りでもあった。

亡くなる前日に会ったのが、結局最後だった。危篤状態で、酸素マスクで激しく呼吸していていて、家族みんなが集まると少し落ち着いたようで、紙とペンを用意するような仕草をし、最後の力を振り絞って、ペーパーに書き出した。父は、命をかけて何かを伝えたかったんだと思う。 父が命をかけて何を言いたかったのか、僕にはよ〜くわかる。
「着眼大局、着手小局」高い志と大きな夢を持って、未来を切り開いていく信念が何より大切なんだと。世の中、この先、何が起こるかわからない。だからこそ、人よりも先に難題に挑み、もがきながらも解決していく姿が、多くの人の共感を得られるんだと。失敗や挫折、試練を乗り越え、決してあきらめない。そんな実践的先駆者になるようにと。
父は息を引き取り、永眠致した。僕は、父の志しを引き取り、そして、次の世代へ繋いでいく。それを、父に約束したいと思う。

弔辞:田川郡退職中学校長会

2017.10.10 14:40


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