神崎聡(こうざきさとし)夢からはじまる
last update 2019/06/14 21:32
 HOME
HOME > 新着情報一覧

令和元年6月定例会が開会

改選後、令和元年度当初予算をはじめ、県政運営の基本となる6月定例会が6月13日〜7月11日の29日間の日程で開会された。一般会計で、一兆七千八百五十八億一千六百万余、特別会計の総額で九千五百三億一千九百万円余、企業会計の総額で百六億一千万円余となっている。一般会計の予算規模は、前年度当初予算比で3.1%増となっている。歳出予算の主要施策では、々覬災害の復旧・復興、第4次産業革命、いわゆるIoT設備の導入やAIやICTなど最新技術を導入、そして、ふくおか健康づくり県民運動など、誰もがいきいき活躍し、健康で充実した人生を過ごしていける、C亙創生の推進 など小川知事より議案の説明があった。

開会日の2日前には、会派で執行部との予算勉強会があり、新規主要施策について説明を受けていたので、本会議場での代表質問・一般質問や常任委員会、予算特別委員会で質していかなければならない。特に議案説明(所信表明)で現状との違い・ギャップも感じられたから、しっかり審議を尽くしたいと思う。4年間の任期の最初の本格的な本会議であり、県政の発展と県民福祉のためにも、二元代表制の一翼としての役割を担っていかなければならない。


その他令和元年活動報告はこちらから>>

親の心子知らず

四十数年前に父が建てた家を壊し、家の中の整理をしていたら、母のサイドボードから日記やら小物が出てきた。その中に、僕の保育園・小学校・中学校の卒業証書が見つかり、母が大切に保管してあったんだと、何だか胸が締め付けられるような想いになった(;_:) まさに、”親の心子知らず”とはこの事であり、きっと子どもたちのことを思う気持ちと同様に、節目節目を喜んでいたのかなぁと思う。そう言えば、子どもたちの卒業証書はどうしたのか、きっと妻が大切に保管しているんだと思う(^'^;)


その他令和元年活動報告はこちらから>>

第12回日本大学音楽祭(昭和58年8月20日)

母のサイドボードから見つかった、日本大学時代に取り組んだ日本大学音楽祭のパンフレット。懐かしく、きちんと保管してくれたことに少し感傷的になってしまう。八幡市民会館に両親も一緒に来てくれていた。大学3年生時に日本大学福岡県人会幹事長に任命された。お正月に地元に帰り、校友会北九州支部の新年会に出席し、偉い年配の先輩たちから酒を浴びるように飲まされ、飲んだ勢いで大勢の前で宣言してしまった。「今年の夏に日本大学音楽祭を北九州で開催します!」多分、あの時、到津遊園の森友忠生園長がいて、たきつけられたんだと思う。それからが大変だった。日大吹奏楽との日程や予算規模、宿泊場所や会場の打ち合わせ・・・と春休みはそれで潰れ、夏休みは前からすべてをこの音楽祭に費やした。結局、小倉市民会館は押さえられず、八幡市民会館で開催することになったけど、50名からの吹奏楽部を東京から招聘し、午前中は到津遊園でドリルパレードを実施し、昼からは、8月21日で学校の出校日だった関係で、北九州市尾倉小学校と近くの小学校2校の3小学校の児童にドリルマーチを披露し楽しんでもらった。夕方からの八幡市民会館(1200名)は満席となり、皆さんからよく頑張ったと誉めてもらい、本当に成功に終わった良かったなぁ思った。

チケットの販売や広告集め、校友会の先輩のところに一軒一軒出向き、本当に力になってもらった。日本大学の県人会は、学生では唯一の公認団体で、僕らの時はそれは活発な活動を展開していたと思う。県人会連合会にも2名ほど後輩を送り出し、組織の大きさじゃ神奈川県人会には程遠かったけど、福岡県人会は結構幅をきかせいたように思う。今考えると、この県人会活動が社会人になってからもの凄く役に立ち、音楽祭を開催したこと、実行委員長をしたことで、その後も先輩の皆さんからかわいがってもらえた。日本大学福岡県人会の活動、そして音楽祭という大きなイベントをやり遂げたことが、その後の人生にとって大きな指針となっていった。


その他令和元年活動報告はこちらから>>

令和元年度福岡県総合防災訓練

6月2日(日)、令和元年度福岡県総合防災訓練が実施された。所管である県総務企画地域振興委員長として出席。委員長として初めての公務となった。今年は、広川町とみやま市での開催で、
・県、市町村、防災関係機関の災害時の連携強化
・県、市町村、防災関係機関の防災技術の向上
・県民の防災意識の向上
を目的に実施している。

訓練では、以下の想定で行わた。
・風水害~1時間に約110ミリの記録的短時間大雨により、広川町及びみやま市を中心に浸水被害等が発生
・地震~福岡県筑後地方で、最大震度6強の地震により、家屋の倒壊、火災等が発生


その他令和元年活動報告はこちらから>>

想い出の家

 ビフォア―

 アフター

中学校1年(13才)の時に、自宅を新築した。当時、自宅にはおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいた母屋と、四畳半が二つ台所に縁側がある裏の家には父・母・妹と4人で暮らしていた。ちょうどその頃、西銀に勤務していた伯父が熊本へ転勤になり、従兄弟が母屋に住むことになり、そんな折に裏の家を新築することになった。昭和50年だったと思う。中学校・高等学校と6年間を過ごし、4年間の大学生活を卒業後、平成元年には母屋を新築したが、結婚するまで8年間自宅から会社に通った。そして、父が事故で亡くなり、母屋の隣に二世帯住宅を建てた矢先に、隣からの火事で類焼し、中学校時に建てた裏の家だけが残り、そこで1年半、みんなで一緒に暮らすことになった。平成19年の県議選に出ることになり、事務所として1年半の間、この裏の家を事務所として使用する。必要とする時に、都合よく使うことができ、いろんな面で助けてくれた裏の家。今、その役目を終え、父が建てた家を解体している。数年前に、母に台風が来たら危ないから壊そうと思うと話したところ、想い出が詰まった家だから、私の目の黒いうちは絶対に崩したらダメと言われていた。両親はあの世で解体している家を見ながら何を思っているのか?家を建てる時以上に、勇気のいる決断だった。

 バイクに乗って高校へ

 大学への出発で

 アフター

 アフター


その他令和元年活動報告はこちらから>>

Copyright © Since 2005 Kouzakisatoshi.com. All Rights Reserved.

 


応援クリックお願いします にほんブログ村 政治ブログ 政治家(都道府県)へ
ランキング参加中


こうざき聡

Facebookページも宣伝

最近の記事

リンク

メインメニュー

RSS