何で好んで苦労を背負い込むのか?
人が行動を起こす時の基準は、”善悪”よりも”損得”か”苦楽”であることが多い。そして、損よりも得を、苦よりも楽を選ぼうとするのもまた人なんだと思う。でも、あえて苦しく辛い道、しんどい道を選んだ時、そこにたどり着いた時には、本当に喜びに満ちた道になったんだということがわかるんじゃないのかなぁ。人から見れば、何で好んで苦労を背負い込むのかと不思議に思うかもしれないけど、僕は今生きているっていう実感を得たいと思っているからなんだと思う。”流れない水は腐る”という言葉の通り、何年も同じ組織で同じやり方、同じサービスだったら、企業や組織は腐敗してきて、存続の危機に陥ってくる。自ら変化しなければ、きっとまわりから変化を突き付けられ、退場を余儀なくされる。どんな状況にあっても臨機応変に対応できるように自分から変革を起こし、運を引き寄せるしかないんだと思っている。 「何かを捨てなければ、何かを得ることなんてできない。」 それは決して楽な道じゃなく、多くの犠牲を払うかもしれない。地域づくり・地域活性化を取り組ん行った時、一民間企業の限界も知った。政治が変わらなければと、意を決して退路を断った。”決断”するというのは、別のものを捨てることでもあった。本当に寂しい想いもした。でも、その寂しさがエネルギーになり、決断したことで勢いもついた。勢いがなければ何事も成功しない。そう僕は思っている。でも、かなり寂しい! |
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2010/02/25 14:20
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