格差社会の是非
このところ格差社会が問題だという風潮になってきている。勝ち組、負け組みの二極化が進み社会に歪みをもたらしているという。本人なり企業の努力の差なのか、たまたま運・不運だったのかわからないが、格差社会はいつの時代もあったんじゃないかと思う。要は機会は平等だったとしても結果は平等にはならないのが現実であり、如何に機会を平等にする社会を実現していけるのかが政治の役割じゃないかと思っている。努力した人が報われる、そんな当たり前の社会じゃないと誰も努力しない。そして社会人には当然自己責任が伴うことも認識しておかないといけない。 どこの格差を指摘しているのかを、まず明確にする必要があるが、確かに都市部と地方との賃金格差や企業の勝ち組・負け組みの格差、「所得格差」が自分たちのような一般の人には問題になっているんだと思う。ただ、筑豊地域特に田川にとってこの格差問題を是正するための根本は、就業する機会を創らない限り解決しない。企業が立地しやすい制度、産業を育成するための仕掛け作り人づくり、構造改革特区や規制緩和に自らが取り組み、行政を動かす力が必要と思う。 それでも僕は、東京なんかよりも筑豊の方が所得が少なくても住みやすい、暮らしやすいと思うし、成功し大きく成長している企業に勤めているよりも、人情味があり、アットホームで、心の絆で結ばれている企業の方が精神的には心地よいと思う。価値観は人それぞれ違うから何とも言えないけど、今の日本、物は溢れんばかりにたくさんある。生活の豊かさを追求するよりも、人生の豊かさを追求していきたいと僕は思っている。 「上を見ては限りがないと、下を見て咲く百合の花」 |
その他平成18年活動報告はこちらから>>
2006/08/22 17:43
Copyright © Since 2005 Kouzakisatoshi.com. All Rights Reserved.
|