不自由さを知って自由の有難さがわかる。
親の脛をかじっている時も我慢しなければならない事が多い。早く社会人になり自分で自立できるようにと思っていても、今度は組織の中にいるとどうしても好き勝手な”自由”は許されない。今は組織もなく、自分で決心して選んだ道であり自由業のようなものだから、さぞ自由な生活をしているんじゃないかと言えば、休日もなければ遊ぶ自由もない。政治っていうのは何とも不自由な職業だと痛感する。時間にもお金にも終始、”不自由”しているのが現実であり、病気になる自由さえもないのだから、元気でいるしかない。 でも、この不自由さを知って初めて自由の有難さがわかり、お金や時間の大切さもわかる。子供たちにも何でも与えて、何不自由なく育てていくことが良いことなのか?物があるのが当たり前から、なかったら無いなりに工夫して知恵を出す事の方が子供にとって大事なのではないかと思う。 3年前、長女が小学校4年生の時に屋久島に1年間山村留学をした。親元を離れて知らない土地で生活した。今まで経験した事のない不自由さも味わったと思う。でも大きく成長したようにも思えた。ちょうど10才は親離れ子離れの時かもしれない。次の番は長男だ。本人は自覚しているのか?していないのか? |
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2006/08/24 08:42
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