ならぬ堪忍するが堪忍
”ならぬ堪忍するが堪忍” 堪忍の堪は耐えるということで、忍はしのぶであり、即ち耐えしのぶことで苦難を堪え忍ぶということになる。今の世の中、本当に堪え忍ばねばならない困難なこと、行き場のないやるせないことが多い。でも、どんな辛い理不尽な思いをしても、それに堪えて堪忍袋の緒を切らぬように、グッとこらえ相手をゆるす広く大きな心を持てるようになりたいものだと思う。 行政というのは、どうしても杓子定規に決まりきった制度や法律の上で、物事を進めてしまい、一番大事な人の感情や心の温もり・心の拠り所をなおざりにしてしまうきらいがあるように思う。だから、民意によって選ばれた政治家が、理不尽な扱いやおかしな制度を指摘し、一人ひとりが幸せを感じるように努力しないといけないと思う。県民幸福度日本一を目指す福岡県なのに・・・福岡県に生まれて良かった、住んで良かったと思えるような行政を行わねばならないのに・・・行政の取り組みによって、不幸と感じたり、心が休まる場所を奪われたり、絶対に生きる希望を失うような事があってはならない。なかなか一朝一夕にはいかず、納得する結果にならないことが多い。今はただ”ならぬ堪忍するが堪忍”。 |
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2013/01/30 17:06
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