アリとキリギリス
選挙に終わりというものはない。「もう十分にやった、明日は日曜日だ。」と言える日はないんだなぁとしみじみ思う。夏の暑い中、毎日懸命に歩いた。帰宅すると、犬の餌の周りでアリがせっせと餌を運んでいる。イソップの「アリとキリギリス」を思い出す。日本では、親切なアリが、キリギリスに食べ物を分けてやりました。でハッピーエンドになっているが、原作ではアリはキリギリスが飢えて死ぬのを待って、その死体を全部食べました。と話になっている。欧米の社会では、幼い頃から生存競争の厳しさを教えているのかと思う。陸続きで国境を接し、常に戦乱に明け暮れた、歴史と風土がそうさせたのかもしれない。 そう言えば、おとぎ話の結末も本来のものと変えられていると何かの本にあったのを記憶する。桃太郎は鬼が島に鬼をみな殺しにして財宝を奪って凱旋する。それを鬼が謝ってお詫びに宝物を差し出すという結末に変える。かちかち山は、人を殺した、たぬきをうさぎが火刑や水刑で残忍なまでに復讐する。これをたぬきが、もう悪いことはしませんと謝り、うさぎが許して仲良く暮らしたという結末に変える。 「めでたし、めでたし」にした方が、思いやりのある子や優しい子に育つと考え、変わってしまったのか、よくわからないが、おとぎ話の原作の本来のねらいは何なのか、一度ゆっくりした時に誰かに聞いてみよう。 |
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2006/09/05 23:16
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