第12回日本大学音楽祭(昭和58年8月20日)
母のサイドボードから見つかった、日本大学時代に取り組んだ日本大学音楽祭のパンフレット。懐かしく、きちんと保管してくれたことに少し感傷的になってしまう。八幡市民会館に両親も一緒に来てくれていた。大学3年生時に日本大学福岡県人会幹事長に任命された。お正月に地元に帰り、校友会北九州支部の新年会に出席し、偉い年配の先輩たちから酒を浴びるように飲まされ、飲んだ勢いで大勢の前で宣言してしまった。「今年の夏に日本大学音楽祭を北九州で開催します!」多分、あの時、到津遊園の森友忠生園長がいて、たきつけられたんだと思う。それからが大変だった。日大吹奏楽との日程や予算規模、宿泊場所や会場の打ち合わせ・・・と春休みはそれで潰れ、夏休みは前からすべてをこの音楽祭に費やした。結局、小倉市民会館は押さえられず、八幡市民会館で開催することになったけど、50名からの吹奏楽部を東京から招聘し、午前中は到津遊園でドリルパレードを実施し、昼からは、8月21日で学校の出校日だった関係で、北九州市尾倉小学校と近くの小学校2校の3小学校の児童にドリルマーチを披露し楽しんでもらった。夕方からの八幡市民会館(1200名)は満席となり、皆さんからよく頑張ったと誉めてもらい、本当に成功に終わった良かったなぁ思った。 チケットの販売や広告集め、校友会の先輩のところに一軒一軒出向き、本当に力になってもらった。日本大学の県人会は、学生では唯一の公認団体で、僕らの時はそれは活発な活動を展開していたと思う。県人会連合会にも2名ほど後輩を送り出し、組織の大きさじゃ神奈川県人会には程遠かったけど、福岡県人会は結構幅をきかせいたように思う。今考えると、この県人会活動が社会人になってからもの凄く役に立ち、音楽祭を開催したこと、実行委員長をしたことで、その後も先輩の皆さんからかわいがってもらえた。日本大学福岡県人会の活動、そして音楽祭という大きなイベントをやり遂げたことが、その後の人生にとって大きな指針となっていった。 |
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2019/06/05 09:51
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