神崎聡(こうざきさとし)夢からはじまる
last update 2024/03/28 10:40
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法光寺だより〜”つもり”

昔先輩から「己知らずと、恩知らずほど悲しいことはない」と教えられました。今回は己について考えていきます。「自分のことは、自分が一番知っている」と言う声が聞こえてきそうですが、はたして自分自身に出会っているのでしょうか。知っているつもりになっているだけではないでしょうか。
自分の顔を見たことがありますか?「鏡を見ればわかる」と返ってきそうですが、自分の根性の現われた顔はどんな時の顔でしょうか。喧嘩している時の顔です。相手が憎たらしい顔でポンポン文句を言ってくるでしょう。こちらも同じような顔で文句を言っているはずです。でもそのような顔は見るすべがないですよね。ほら、自分の顔さえ知らないじゃないですか。しかし、容易に想像できますね。 ところが「自分はあんな顔はしません、何時もにこやかです。」と自分のことを知ったつもりになっているのです。この「つもり」が怖いのです。「ひょっとしたら」と小さな「?」が着けば、聞きます、尋ねます、求めますからね。ところが、「つもり」のままだと聞きもしなければ尋ねもしません。

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この頃高速道路を逆走している車の影像をテレビで見かけますね。あの逆送している車の運転手は、逆送していると思っているでしょうか。いいえ、「ひょつとしたら」と小さな「?」でも着けば、ブレーキをかけるはずです。あのスピードで走っているということは、逆送しているなんて思ってもいない証拠です。 同じように、自分の事を知っているつもりで生きているのではないでしょうか。 怖いですね。 ある男が、テレビを見ていると高速道路を逆走している車の影像が映っていました。「そういえば、おやじが今日、高速道路を走っているはずだ。注意してやろう。」と、車に電話をかけます。「おやじ今、高速道路を逆走している車が一台あるぞ、注意しろよ。」
それに対して父親は、「こっちは一台どこじゃないぞ、何十台も逆走してくるぞ。」逆走していたのは父親の車だったと言う笑い話があります。けど、笑ってられますか、日頃の生活でこれをやってませんか「何時も自分は正しい。間違っているのは、相手。」時には自分が逆走していることもあるはずですよね。

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つぎに、物事を計量するためには、基準になる物差しが必要です。私達は、正しい物差しで物事を計量しているでしょうか。

くまのプーさんというアニメがあります。そのくまのプーさんの友達にルーというカンガルーの子供がいます。そのルーが背丈を測るのに印を着けます。しばらくして又、印を着けたら背が縮んでいたのです。何度計っても縮んでいくのです。ルーは悩みます。「僕はこのまま小さくなって消えてなくなるんじゃないか。」と。そして、プーさん達に相談します。プーさん達がルーが印を着けたところを探て、見つけました。ルーが背丈を測るのに印を着けたのは、ひまわりの茎だったのです。ルーの背が縮んだのではなく、ひまわりの茎が伸びただけだったんです。かわいらしい話ですが笑ってられますか。私達も変化するもの、うつろいゆくもので物事を計っていませんか。


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