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福岡県文化議員連盟会報誌(令和4年12月第38号)

福岡県文化議員連盟会報(第38号)が発行されました。「万葉の歌枕」と題して香春町の紹介をしています。会報誌の原稿にあたり、福岡県文化財保護指導委員で、香春町在住の香春町郷土史会の桃坂豊さんにお話を伺いました。また香春町観光協会の西部知恵事務局長に道の駅香春万葉公園や石碑を案内して頂きました。

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万葉の歌枕

福岡県文化財保護指導委員で、香春町在住の香春町郷土史会の桃坂豊さんにお話を伺いました。
香春町には、国道201号線と国道322号線がクロスする場所にあるのが平成21年10月にオープンした道の駅香春「わぎえの里」があります。
7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された、現存するわが国最古の歌集が万葉集で全20巻からなり、約4500首の歌が収められています。天皇から農民までの歌が詠み込まれ、舞台も日本各地に及びます。万葉集の中には香春が7首記録されていて、都から赴任した役人が詠んだ「豊国の香春(かはる)は我家(わぎへ)紐(ひも)の児(こ)にいつがり居れば香春は我家(わぎへ)(愛しい紐子が側にいると心が和み、旅の苦労も忘れ、まるで我が家に居るような心地がする)」という和歌にちなんだのが道の駅の名前です。
鏡山では689年、太宰帥(大宰府の長官)として大宰府に赴任した皇族河内王が香春の地で亡くなったと言われ王の死を悲しんだ手持女王(たもちのおおきみ)が詠んだ歌、さらには河内王を葬った陵墓もあります。なおこの陵墓は福岡県内唯一の宮内庁指定の一等陵墓参考地であり、歴史の古さを今に伝えています。
国道201号線は奈良に都があったころ大宰府と中央政府を結ぶ官道と重なり、多くの人や文化が行きかいました。朝鮮半島から渡来してきた人々により香春岳の銅の採掘製錬で宇佐神宮の御神鏡や奈良の大仏を鋳造しました。これは渡来人の技術無くしては不可能であり、香春はまさに当時の日本最先のハイテク都市であり、これは史跡だけでなく万葉集に代表される文化として今に残っています。
国道322号線が脚光を浴びるのは、中近世になってからです。香春は豊前国ですがこの頃、中国地方の覇者である大内氏と豊前を支配する大友氏と激しい戦いの地となり、香春をめぐって幾多の攻防戦が繰り広げられました。その戦で亡くなった兵士の霊を弔うという故事に起源をもつのが香春盆踊りで、夏の風物詩となっています。
炭坑節に代表される筑豊地区の盆踊りですが、香春盆踊りは他の地区にない独特な踊りや囃子で、哀愁を漂わせた盆踊りで、口説きと言われる歌詞の中に豊後大友氏との戦いが語られ、柳川藩にゆかり深い戸次道雪も歌いこまれ、興味深い内容となっています。
小倉領内の主要都市と栄えた香春は、城下町小倉から秋月方面に至る街道の宿場町として繁栄します。近年秋月街道という名前も定着しつつありますが、香春では南方向は猪膝街道、北方面は小倉街道という名前で呼ばれていました。秋月は筑前領であり一般人の利用は少なかったことと思いますが、小倉への利用は多く、現在北九州市小倉北区には香春口の地名も残り、番所的な役割の門がありました。 これに対して香春には採銅所地区には「御領口」の地名も残り、小倉と密接な位置関係が理解されます。
幕末、小倉藩は長州と激しい戦となり、藩政府を香春に移し香春藩を発足します。このように古代から連綿と伝わる香春の歴史は筑豊地区において独特の文化を残しています。 香春の歴史、文化を探しに香春町にいらしてください。

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