”自由な生き方”というより”自在な生き方”がいい。
凧が空高く舞い上がるのは、人が糸を引っぱっているからであり、この強い糸から縛られているからこそ、強い風に立ち向かい高く高く舞い上がっていく。糸が切れた凧というと、何の制約も受けずに何となくフラフラと自由を手に入れたような感じがするけど、もし糸がなければもっと高く舞い上がるかというと、そんな事はなくて、地面に真っ逆さまに落ちてしまう。自分にとって、邪魔なもの、制約を受けるものがあれば、それを排除しようとする。「あの人さえいなければ・・・」「これさえなけりゃ・・・」もっと自由になれるのに、万事うまく行くのにと思ったりするけど、そうじゃないという考えがあるんだなぁ〜と思った。糸があるからこそ、凧は空高く舞い上がることができるように、妨げるもの、邪魔だと感じるものがあるからこそ、人はたくましく生きていけるんじゃないのかとも思う。”これさえなければ”ではなく、”これがあればこそ”と受け止め、”あの人さえいなければ”ではなく、”あの人がいてくれるからこそ”と思うことが大事なんじゃないのかなぁ〜って。そう心から思ってくると、邪魔だと思っていたものが邪魔じゃなくなり、制約を受けていたものを制約だと感じなくなってくる。 要は、自分の夢や自由を妨げるものを妨げだと感じなくなった時、真に自分自身の生き方ができるんじゃないのかと思うようになった。僕の人生の前に何があってもかまわない。すべては「これでいいのだ」。3月4日に書いたブログ(Understand(アンダースタンド)?)のように、上善は水の如し。川の水は、岩や木なんかの障害があっても、それを障害とせず、川上から川下へと自在に流れて行く。障害を避けようともせず、ただただ淡々と流れて行く。僕は、川の流れのような「自由な生き方」というよりも「自在な生き方」がいい。 |
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2010/03/10 10:22
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