リンカーンの言葉と目黒のさんま
添田小学校5月号学校通信”夢をはぐくむ”に、太田亮一校長先生が書かれている「知恵と夢と」を読んで考えさせられるものがあった。 リンカーンの言葉に次のようなものがあります。 「私がもし、木を切り倒すのに8時間与えられたなら、6時間を斧を研ぐのに費やすだろう。」 リンカーンが、いかに準備を大切にしたかを表した言葉です。そして、派手に斧をふるうところに目を奪われがちな人間に、地味に斧を研ぐところこそ肝心だと諭しているのでしょうか。 大切なことはこの言葉を知識とするのか知恵にするかです。この言葉をただ知っているだけが知識で、自分の生き方に照らせたとき知恵となり、生き方が変わってきます。 将来のために、いやな勉強を我慢してしなさい。こういうスタイルの学習は「画竜点睛を欠く」学習で、知恵が身につきません。勉強で発見や感動、面白さや喜びを味わえた時に知恵が身につき、昇竜のように伸び、夢がはぐくまれていくのです。 今の日本には、知識があって知恵なしという場面が多く見られます。学ぶとはどういう事か、根本的に問い直す時期がきたということではないでしょうか。今こそ、夢と知恵につながる学習を積み重ねて行かなくてはなりません。 妻と二人で読みながら、太田先生らしいなぁ〜と話していた。先日、太田亮一先生・辻眞作先生と一緒だった時に、”目黒のさんま”の話題になった。 秋の一日、殿様が、家来をつれて、遠乗りにでかけた。昼近くになって、そのころはまだ江戸の郊外だった目黒についた。殿様お腹がすいたというので、家来がさんまを焼いていた家の主人にたのんで、昼食をごちそうになる。殿様は生まれてはじめてさんまを食べた。空腹の時に、脂ののったさんまを食べて、殿様は大満足した。 殿様は、さんまの味が忘れられず、お城から出かけた時に、「何かお好みのお料理はございませんか。なんなりとお申し付けくださいませ。」と家老に言われ、さんまをリクエストした。はじめは家老はわからなかったが、いろいろ調べてわかったので、さっそく日本橋魚河岸から最上等のさんまをとりよせたが、このように脂の多いものをさしあげて、もしもお身体にさわっては一大事というので、十分に蒸して、小骨なんかは毛抜きで丁寧に抜いて、さんまのだしがらのようなものをつくりあげた。 「殿、御注文のさんまです。」 「なに、これがさんまと申すか、ばかに白いではないか、たしかもっと黒くこげていたように思ったが・・・」 「いいえさんまに間違いありません。」 「さようか、どれどれ、う〜んこのにおいはまさしくさんまじゃ、これさんまよ、恋しかったぞ。」 殿様がひとくち召し上がったが、ぱさぱさのさんまはおいしくなかった。 「これがさんまか?」 「御意。」 「ふ〜ん、このさんま、いずれよりとりよせたのじゃ。」 「日本橋魚河岸にござります。」 「あっ、それはいかん、さんまは目黒にかぎる。」 学習の一番おいしいところは、発見であり感動である。それこそが一人ひとりが持っている学ぶ力の源だと思う。”リンカーンの木を切り倒す言葉”も”目黒のさんまの話”も、学ぶ力を身につけるためには何が大切なのかを考えさせてくれる。一番努力しなければならないところ(楽しみな、おいしいところ)を省いたんじゃ、何にも身につかないし感動もない。 |
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2010/05/09 12:07
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