神崎聡(こうざきさとし)夢からはじまる
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心の雑草を取り除く

さぁ、いよいよ明日(令和元年6月20日)から県議会6月定例会は代表質問に入る。これから4年間、二元代表制の一翼として議会は知事とどのように向き合っていくのか、議論を尽くし、より良い県政にしていかなくてはならないと肝に銘じている。6月13日に知事の所信表明(議案説明)を本会議場で聞きながら、「県民幸福度日本一」を目指し、生活者の視点を重視しながら、弱い立場のにある方々に寄り添う「温かみのある行政」を心掛け、福岡県をさらに元気にすべく・・・と述べられているけど、本当にそうなのか?少なくとも人口減少で先行き不安な地域や豪雨災害で被災した地域など到底知事が言われるような県行政は実行されていないのではないかと思うことが多々ある。耳触りの良い言葉よりも、それを実践してこその行政を目指さなければならないのではないか。

先日、法光寺の聞法会総会に出席してきた。ご院家から、「吉凶禍福」の話があり、何となく知事の言葉を思い出しながら、幸福度日本一にとらわれている人間の姿は、何とも自分に都合のよいことばかりを追い求めた生き方なのか、自分のしていることを正しいと信じ込んで疑わない生き方が見据えられているのではないかと思った。
仏教では、吉凶禍福を競い合うことがどれほど痛ましいことか、自分の物の見方だけを正しいと信じ込むことがいかに愚かであるか、そのことを問うているんではないかと思う。わざわい(凶・禍)を取り除き、幸福(吉・福)を招き寄せようとする発想そのものがどうなのか。善いのも悪いのも、自分が受ける結果のすべては自分が作るということを「因果応報」の意味で、「因果」とは、「原因」と「結果」のことで、どんな結果にも必ず原因があり、原因なしに起きる結果は一つもない。ご院家は、稲を植え、お米の収穫の例え話をされていたが、原因に応じた結果しか現れないと教えるのが仏教の「因果応報」の教えということであった。自分のやった「行い」が自分の「運命」を作るのであれば、不幸も幸福も「因果応報」ということになる。幸福度とは自分の人生の生き方そのものであり、上から目線で与えてもらうことでないように思った。

2019.06.19 22:10


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