神崎聡(こうざきさとし)夢からはじまる
last update 2019/11/16 07:31
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物差し

今年は義父と母の3回忌。早いもので、亡くなってもう2年となる。法光寺のご院家(住職)から仏法の真理の法話があった。大変、有難いお話でいつもいつも、ハッとさせられる。子供たちにも聞かせてやりたかったので、備忘録としてブログに残しておこう。うろ覚えながら、こんな話だったと思う。

ニュートンはリンゴが落ちるの見て、万有引力の法則を発見した。ニュートンが引力を発明したのなら、それまで引力はないということ。けれども、引力があったから、発見できた。
仏法も真理(しんり)があったからこそ、お釈迦様は発見できた。ここを勘違いしないように。お釈迦様がつくったんじゃない。何を発見したのか?真理(しんり)を発見した。ものの理(ことわり)を物理と言う。数の理(ことわり)を数理と言う。それと同じように、真(まこと)の理(ことわり)を、真理(しんり)と言う。どういうふうな形で発見したかというと、縁起というかたちで発見した。縁起がいいとか悪いとか、そんなもんじゃない。原因があって、結果がある。この結果がまた次の原因になる。けれども、原因だけでは結果は出ない。
例えば、モミ種一粒あったら、これが原因となって、結果が米がとれる。この米が来年の因になって、果ができる。因果因果とくるが、例えば、畳の上にモミ種置いても、芽は出ない。土がいる、水がいる、太陽の光がいる、人の手がいる、肥料がいる、これを縁と言う。だから、因があって、縁によって、果がおこるから、縁起という。
具体的には、みんな関わりあって生きている。一人で生きているものは一人もいないというのが縁起。関係ないものは一つもない。

ものごとを計量するには、物差しがいる。その物差し、私たちには自分自身の物差しを持っている。ところが、この物差しは相手の出方によって自由自在に動く。相手の出方が良い時は、この人はいい人ねと、1cmが1mにもなる。相手の出方が悪くなると、こんな人とは思わんやったという。その物差しで自分自身をはかったらどうなるか?自分は自分に一番甘いから、1cmが1mにも2mにもなる。1cmは1cmという、これを真理と言う。私を教えてもらう以外に私はわからない。

くまのプーさんの友達にカンガルーのルーというのがおる。それが自分自身の背丈測る。そして印をつける。一時(いっとき)してまた測ったら、縮んどる。また行ったら縮んどる。ルーが悩み、このまま小さくなって消えて無くなるじゃないかって。悩んだ末にプーさんたちに相談する。プーさんたちが調べると、ルーが印を付けとったのは、ひまわりの茎だった。ひまわりは伸びるからね。私たちこういうことをやっている。測るものが動いたら、測ったことにならん。私たちは世間とか、あの人がこう言うとか、そういうものばっかりで測ろうとするから、全然(自分に)出合ってないんじゃないですか。

この頃、テレビで高速道路を逆そうする車が時々写る。ある男性がテレビで一台、逆走するのを見た。あっ、そう言えば、今日、うちの親父が高速道路乗ると言っていた。ちょっと電話かけてみようと思い、電話をかけた。「親父、今な、テレビでな、高速道路で逆走する車が一台が写っとるが気を付けれよ」って言ったら、親父がね、「バカ、ここは一台どころじゃない、何十台も逆走してくる」と、逆走しとるのは親父やったという話。皆さん、笑いよるけど、私たちはこういうことやっとる。私は間違いない、逆走しとる人は、逆走しとると思うてない。思った瞬間にブレーキ踏みます。あれは自分が正しい道を走っとると思っているだけ。しかし、実際は逆走だったという話。そして相手が悪いと思う。そいうことを私たち、やっとるんじゃないですか?私は間違いがない、これ一番怖いこと。知ったつもりで、人を裁いていくでしょうが。どうですか?皆さん、それを仏様に教えてもらうっていうことです。


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