門出を祝う
【最後の子供の巣立ち】
誉行が巣立っていった。これで子育ても一区切りつき、うれしいやら寂しいやら、子育ては妻と二人三脚で、何はともあれ4人の子供たちを大学まで行かせてホッとしたのが実感かな。
ここまで育て、一人立ちさせるには、時間もかかり、気もかかり、何よりもお金もかかる。特に最後の末っ子には手を焼いた。本当に合格できてよかった。
親の目が届かない大学時代は、自立への第一歩であり、社会へ踏み出す助走のようなもの。様々な経験と出会いが、これからの人生の肥やしとなるのは間違いない。
子育て4箇条として、心得てきたのは、
・乳飲み児のうちは、しっかりと肌を離すな。
・幼児になると肌を離せ、手を離すな。
・少年になると手を離せ、目を離すな。
・そして青年になると目を離せ、心を離すな。
最後の4カ条目の ”心を離すな”これが一番難しい。親はいつまでも親であり、どんな時でも心を離すことはない。大切なことは、子供たちの心が離れていかないような育て方をしてきたかどうか。長い年月をかけての子育てが評価されるとしたら、ここに尽きるような気がする。最後に子供たちの心が離れてしまうようだったら、その時はじっと目を閉じ、自分の両親に頭を下げるしかないかな。
【子育てこそが親孝行だった】
親父が釣りの事故で亡くなり、ちょうど20年経つ。退職して、孫が出来きて、これからが楽しみだと言っていたが、享年66歳。結婚する前までは、人生の格言や経済や仕事について、叱咤激励しながら相談にのってくれたり、自分の経験を話してくれたり、伯父や伯母からは、「聡くんを手塩にかけて育てたからなぁ〜」と言われていた。
そう言えば、長女誕生時に親父から「育子さんは絶対に仕事を辞めさせたらならんぞ」と遺言のように釘を刺された。この意味は深く、きっと亡くなった母も、妻育子も知らないと思う。親父から育てられた僕しかわからない親父の心情が込められている。
「親孝行した時に親はなし」
人間って言うのは、何十年もかけて一人前に育っていく。親はその見返りを求めないし、そして親は自分の思い通りの育たなかった子供たちのことを悔いたりはしない。むしろ、大きな決断を子供自身で下せるようになった時、幸せを感じたりするんじゃないかなと今はそう思う。だから、親を亡くした自分の最高の親孝行って言うのは、長い年月をかけて我が子を育てる事じゃないかと思っていた。そして、子どもたちが立派に社会人として自立し、あの世に行ったときに、親にきちんと報告したいと思う。あの世の父から、「お一聡、お前もよくがんばったな」と言ってもらえるように。
【我が4人の子どもたちよ】
人生は、失敗があり、挫折があり、苦しみや絶望感がある。特に人生の転機となる出来事で、何の挫折も波乱もなく、平穏無事に通過する人は稀で、自分の能力や努力だけではどうしようもない事が数多くあると思う。良いことばかりも続かないし、悪いことばかりも続かない。「人間万事 塞翁が馬」である。辛くても前を向いて歩いて行くしかない。大切な事は、勇気を失わない事だと思う。輝かしい前途を約束されて生まれてくる子なんていない。大人になる過程で、いろんな挫折を味わい、悩みを抱える。それを乗り越えて生きていかなければならない。決して委縮することなく勇んで人生を切り開け。父とお母さんの祝福を胸にひめて、大人への、社会人への階段を駆け上がれ!
間違いなく、既に父を乗り越えているんだから。
2021.04.01 21:34
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