神崎聡(こうざきさとし)夢からはじまる
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文教常任委員会管外視察(令和4年5月9日〜11日)

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令和4年5月9〜11日の日程で、文教委員会管外視察で新潟県へ行く。昨年12月28日に文化庁より、文化審議会世界文化遺産部会が「佐渡島の金山」を世界文化遺産の推薦候補に選定する答申があり、本年1月28日に政府よりユネスコに推薦することが正式に表明されている。今後は、「佐渡島の金山」が世界的に貴重な文化遺産として評価されるとともに、次世代へその価値を継承し、令和5年の世界遺産登録実現に向けて取り組むとの事であった。
実は、「佐渡島の金山」への視察ということだったので、連休中に妻にも協力してもらい、愛媛県新居浜市の別子銅山と島根県大田市の石見銀山に見学に行ってきた。歴史や地理は単に暗記するのではなく、時代背景や盤石な支配力を支えたものは何だったのか、日本には自前の貨幣を大量に流通させる十分な資源がなかったことで、中国から「宋銭」や「明銭」を輸入していたが、見事に問題を解決したのが、江戸幕府であり、鉱山開発だった。「佐渡金山」「石見銀山」「足尾銅山」により統一貨幣を流通させた事実。ただし、「別子銅山」だけは幕府は一切管理せず、開山から400年の間、住友財閥が経営してきたのが、とても興味深い。歴史はロマンであり、感動の連続だと改めて思う。

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さて、佐渡を世界遺産にする様々な団体が長きに渡り活動を続けられきた。「講演会」や「御金荷の道ウォーク」「子どもサミット」などの事業を実施したり、佐渡市所有の相川金銀山、鶴子銀山などの写真集や特産品販売を行う「佐渡フェア」の開催、首都圏においても新潟県、佐渡市など主催したイベント等は数えきれない程もあったという。近代遺産の象徴「東洋一の浮遊選鉱場」と言われた北沢浮遊選鉱場ではライトアップされ世界文化遺産推薦に花を添えていた。

「佐渡島の金山」は16世紀末〜19世紀半ば(戦国時代末〜江戸時代)にかけて、豊かな金鉱脈の島・佐渡島において、徳川幕府の管理・運営の下、いわゆる鎖国政策によって技術交流が限られる中、ヨーロッパとは異なるシステムとして発展を遂げ、世界に誇る量と質の金を生産した伝統的手工業による大規模かつ長期にわたり継続した金生産システムを示す稀有な産業遺産です。
・佐渡島の「金生産システム」は採掘跡や排水坑道などの「生産技術」を示す遺跡と、鉱山集落跡などの「生産体制」を示す遺跡の大きく2つで構成され、両社が現在でも良好な状態で保全されている金鉱山遺跡は世界的に類をみないもの。
・人類の鉱山史は伝統的手工業で鉱山開発を行った「機械化前」と、15〜16世紀の大航海時代を境にヨーロッパ地域を中心に機械装置の導入が進む「機械化後」の大きく2つに分けることができる。同時期の世界では機械化へと向かう中、「佐渡島の金山」では機械装置に頼ることなく持ちうる手工業技術を深化させるとともに組織体制も大規模化することで、量・質ともに世界レベルの金生産を行うことができた。その意味で伝統的手工業による金生産の技術的・体制的な最終段階・最高到達点を物語る資産であると言える。

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大崎そばの会(大崎活性化センター)〜「大崎そばの会」は昭和53年より続く伝統的な行事で、地元で採れたそば粉を100%使った十割そばの手打ち。地元で採れた素材を地元の方が料理し、それを振る舞い、地元の方たちが舞台に立ち芸能を披露するという地元の人たちが中心のイベント。文弥人形(古浄瑠璃形式をもとに独自に改良が加えられ、国の重要無形民俗文化財に指定)をはじめとした民俗芸能を鑑賞することができる。文弥人形は、江戸時代より伝わるひとり語りの文弥節に人形を合わせたもので、明治3年にここ佐渡島の大崎で発祥した。三味線を弾きながら物語を語る「太夫」とそれにあわせて人形を操る「遣い手」が演じる人形劇。例年11月から2月にかけて会が催されており、年間3,000人以上の参加者が訪れている。

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田中角榮記念館〜平成10年4月に新潟県柏崎市(旧刈羽郡西山町)の二田小学校跡地に開館されている。第64代内閣総理大臣に就任した田中角榮氏に関する遺品や遺墨などの文化財を保存し展示されている。日中国交の道を再び開いた偉業や生前の面影を偲ぶ事ができる施設となっていて、 食事処「角さんの台所」を併設しており、角栄氏の好物のっぺ汁が食べられる。 また、隣接したふるさと公苑では中国との交流拠点として文化の紹介を行っていた。
館内は写真禁止ということであったが、館内には「以和為貴」(和をもって貴(たっと)しとなす)、「蜂懶採花疎」(蜂は懶(らん)にして花を求むるも疎(まば)らなり)の横額や個人所蔵の希少な「ふすま」にした書4枚、日中国交正常化を実現させたときに詠んだ漢詩の色紙など30点あまりと写真・遺品などが展示されている。東京都目白の田中邸にあった応接室も再現されている。政財界の要人が訪れ、陳情客が順番待ちの列をなした様子を説明して頂き、最後は「ヨッシャ、ヨッシャ」で話がついたと。何となく、あのだみ声が聞こえてきた。近くの「角さんの台所」という名のレストランがあり、具だくさんの汁物「のっぺ」や地元産米のコシヒカリを使った丼もの、おにぎりなどがメニューに並んでいた。お昼は時間がないということで、車中で食べるように、おにぎりを2つ頂戴した。


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