明治維新以来の日本変革が実現するかもしれない。
自民党にとって戦う相手は野党なのに、どうして”麻生降ろし”だとか”総裁選前倒し”と言った内部批判を繰り返す議員がいるけど、一体何を考えているのか?結局、選挙地盤が弱い人のパフォーマンスにしか映らない。自民党議員であれば、ことここに及んでは右往左往しないで、しっかりと麻生首相を支え、たとえ逆風でも政策を実現し、有権者に支持を訴えていくしかないのではと思う。逆境の時にこそ、人の本性がわかるっていうから、政治家の言動をしっかり見ようと思う。 麻生太郎首相の著書「とてつもない日本」の中に、”地方の底力の集合体が日本”であり、日本の再浮上は地方の底力にかかっていると書かれている。よく考えると世界で成功しているのは、国ではなく例えばシリコンバレーに代表されるような地域である。なぜか?人・もの・金・情報の経済単位が、国家ではなく地域単位で交易しているからに他ならない。地域の集合体が地域国家となり、それを束ねる枠組みが一つの連邦国家という国になれば、それこそ本来の地方分権・地域主権が確立できるんじゃないのか。東国原知事の出馬要請に対しての逆提案、知事が国のリーダーを目指すという意味では、日本もアメリカ型のような民主主義に近づいているんじゃないのかと思ったりした。アメリカは、カーター、レーガン、クリントン、ブッシュ大統領と州知事出身の大統領が殆どである。 明治維新以来の中央集権という社会システムは、それを治めるために行政単位を県、市町村と縦方向に細分化している。細分化されていながら、例えば建築許可は県、水道は市町村という具合に、バラバラでよくわからない。小さな道路を一つつくるだけでも霞が関に行かなくてはいけない。地方自治と言いながら、許認可という形でありとあらゆる権限を中央がコントロールしているのが実態で、これじゃ地方自治はいつまでたっても自立できないと思う。既に通常の社会基盤整備は日本中に行き渡っているから、これからは地方のことは地方で直接行なうようになるのは自然の流れだと思う。金と権限を得て、自分たちの裁量で地方を経営していく。中央の縛りから自由になる代わりに、責任も伴うようになる。赤字になると経営責任を求められることになり、当然、首長も議員も経営能力が要求されるようになる。有権者も直接生活に関わってくるので真剣に政治家を選ぶようになってくるんだと思う。 今回、マニフェストで全国知事会が一枚岩になっている。もしかすると、明治維新以来の日本変革が本当に実現できるかもしれない。凄い時代に生きている。 |
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2009/06/26 20:35
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