11月26日18時より小倉のホテルニューたがわで、日本大学校友会北九州支部総会に出席してきた。日大本部から副総長や校友会事務局長も参加され、懇親会では北橋北九州市長も同席で盛会に開催された。 大学時代から大変お世話になっている諸先輩の方々との再会は、本当に勇気付けれらる。先輩たちから、「神崎君は、学生時代から(政治家を目指す)そんな星の下に育ったんよ」と多くの皆さんから言われた。自分じゃよくわからない。間違いないのは、普通のビジネスマンだったから、必然的に選挙に立ったわけじゃなく、偶然そんな巡りあわせになっただけのような・・・何となくそんな気がする。 でも、もし僕がそんな星の下に生まれたんだったら、やっぱり自分の知らないところでの環境だったのかもしれない。(難しい選挙区と複雑な人間関係) そして、自分で道を切り拓いたんであれば、それは高校時代じゃなくて、大学時代だったんだと思う。そう、日本大学が僕を大きく変えた原点だったんだと思う。日本大学商学部会計学科に入学。どうして、受験で会計学科を志望したかというと、伯父さんや親戚の人が税理士や財務事務所長をしていたから、高校生の時に何となく公認会計士か税理士になりたいと思うようになっていた。親父から、「東京の大学に行くんやったら、勉強一筋かたくさんの友達をつくるか、どちらかにしろ」と言われた。僕は、「勉強に頑張る!」と言い、入学して直ぐに会計学研究所に入った。ちょうど3カ月目ぐらいの時に、原価計算が概念が入ってきて、まったく理解できなかった。結局、そこで挫折。迷わず僕は、たくさんの友だちをつくる道を選んだ。 大学時代は、日本大学福岡県人会活動と益子ゼミ(情報管理論)活動がすべてだった。特に福岡県人会は、大学3年の時に幹事長に抜擢、その勢いで第12回日本大学音楽祭の実行委員長となり、北九州市八幡市民会館で開催する運びになった。この時の経験が社会人としての活動や麻生太郎事務所での選挙活動で大いに役に立った。 チケット販売や広告での収入の為の校友会の皆さんへの訪問(600万円)。日大吹奏楽団60名(日本大学吹奏楽研究会)の招聘。到津遊園地(到津の森公園)でのドリルマーチや八幡市民会館までのパレード、そして市民会館周辺3小学校での演奏会。正直に言うと、田川高校時代の同級生で法学部だった見藤弘一君、文理学部だった松浦純さん。この3人の学生でこれだけのイベントをやり遂げた。マンションを借りて、田川から毎日通い、春休みと夏休みをすべてを費やして頑張った。僕を大きく変えさせてくれたのは間違いなくこの音楽祭の開催だったんだと思う。 当時の日大北九州支部長が、九州共立大学教授の東海林先生(東海林太郎の孫)。当時、到津遊園地は森友園長で本当に懐かしい。お二人とも僕の結婚式にはご出席して頂いたけど、今はもうお二人ともお亡くなりになった。 いつもいつも、校友の皆さんに助けられ、同級生に助けられ、麻生グループやお付き合いしてきた企業関係の皆さんに助けられ、今度は多くの地域の皆さんに助けられ・・・きっといつかは・・・誰かを助けてあげられるようになりたい。 祝宴vol5 【日大校歌】 1.日に日に新たに 文化の華の 2.四海に先んじ 日いづる国に さかゆく世界の 廣野の上に 富嶽とゆるがぬ 建学の基礎 朝日と輝く 国の名負ひて 栄ある歴史の 道一すじに 巍然と立ちたる 大学日本 向上息まざる 大学日本 正義と自由の旗標の下に 治世の一念 ほのほと燃ゆる 集まる学徒の使命は重し われらが行く手の 光を見よや いざ 讃へん 大学日本 いざ 讃へん 大学日本 いざ 歌はん われらが理想 いざ 歌はん われらが理想 |