日中韓サミット〜歴史的大きな一歩
麻生首相の提案で12月13日に福岡大宰府で開催された日中韓による三カ国の首脳会議(日中韓サミット)、新聞報道は様々な論調をしていたが、これは歴史的にも凄い一歩じゃないかと率直に思った。国際金融・経済問題について、防災協力について、北朝鮮を含む地域情勢について話し合われた事は、アジアはむろん世界の安定と繁栄に、画期的なことだと思う。よく、麻生太郎首相は、「日中友好は手段であって、目的は共益」だとおっしゃられていた。共同声明でも、三カ国協力の原則として、開放性、透明性、相互信頼、共益、多様な文化の尊重をうたい、未来志向で、協力を進める決意を、表明している。 この日中韓サミットの何日か前に、中国の海洋調査船2隻が、尖閣諸島・魚釣島周辺で領海侵犯した。本来、日本の主権が及ぶ範囲だから、「ここは日本の領海だから出て行きなさい」という警告を発して、それでも領海を離れなければ、これを攻撃する権利を持っている。(さすがに日本はそんな事はないけど・・・)さっそく麻生太郎首相は、13日の中国の温家宝首相との会談で抗議された。 そもそも尖閣諸島は、明治時代に日本人が行ってアホウドリの捕獲をするのに開発を進めたことで知られている。その後、敗戦でアメリカ軍が沖縄とともに占領した地域のなかに、この尖閣諸島が含まれている。アメリカ軍は尖閣諸島の一部の島を、砲撃演習場などとして使っていた。それが、昭和43年(1968)の国連の調査で、尖閣諸島の付近一帯に、石油が埋蔵されていることがわかった。そこでアメリカの石油会社はこれを狙い始めるが、アメリカ政府は、もともと領有権を持っている日本との間で問題が起こることを指摘したりして、アメリカによる石油開発は行われなかった。その後、沖縄返還によって、今度は中国や台湾が領有を主張しはじめるというのが、歴史の事実。 中国の主張は、西太后の文章というのがあり、日本が尖閣諸島を領有する閣議決定した明治28年の2年前につくられた文だとして、当時の清朝が領有意思をもっていたというものだった。が、実はこの西太后の文は偽物だと、当時の中国の研究者の呉天頴(ごてんえい)が断定している。しかも中国は、昭和33年(1958)に自国の領海を、3カイリから12カイリに変更すると宣言したが、その宣言のなかに尖閣諸島の名は入っていなかった。そこで中国は、台湾は中国の一部だとの主張だったので、尖閣諸島は台湾に付属した地域であるという主張になった。中国が尖閣諸島を自分の国の領土だと明記したのは、つい最近の平成4年(1992)の領海法のことである。台湾はどうかというと、李登輝元総統は、「尖閣諸島の領土は沖縄に所属しており、結局日本の領土である。中国がいくら領土権を主張しても証拠がない」と言っている。 韓国との竹島問題も同様。やはり、こういう問題を日中韓サミットで開放性、透明性、相互信頼、共益という観点で解決してもらいたいと思う。その意味からもこのサミットは大きな一歩を踏み出したように思う。そして、麻生首相のこうした功績で、日本国民が外交や歴史問題に関心を持てるようになれることが、一番の国益のようにも思えた。 |
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2008/12/15 19:51
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